2011年9月 1日 (木)
On Voice 第839回 星野之宣「滅びし獣たちの海」

 カバーの絵を見て衝動買い。表紙の絵もすごい迫力。
 戦争物と失われた生物や文明を題材にした短編集。
 圧倒的なマンガの力。
 映画では実現できないようなリアリティ。


2011年9月 4日 (日)
On Voice 第840回 新宿アルタ前が封鎖?

 もう反核集会などをやらせないためか。
 今までもこうしたことはよくあったのだが。
 集会やデモを人目の付かないところに追いやろうとする画策。
 本来なら我々はどこで集会をやろうが自由なはず。
 しかし一番はじめに優遇されるのは商売人。
 ポスティングの問題も… 政治主張より個人の利益。
 誰が悪いのか?


2011年9月 9日 (金)
On Voice 第841回 災害多発の2011年も2/3が過ぎて

 台風の被災者の皆様にお見舞いとご無事をお祈りいたします。
 今年の後半には何が起きるのだろうか。
 災害用の備蓄などを見直してみたが、想定を越えるからこそ災害なわけで、準備はとても難しい。


2011年9月10日 (土)
On Voice 第842回 配信が中断する理由

 どうも最近疲れていて…
 なぜかと考えてみるとこのところずっと薬を飲んでいることに気づいた。
 咳が出るのだが、近くの医者の診断では特に異常は無いと。
 皆さんもお体大切に。


2011年9月11日 (日)
On Voice 第843回 2011年9月11日に思ったあれこれ

 9.11の追悼。いったい誰を追悼するのか。
 アメリカのテロをきっかけに続いた事件や戦闘、テロの被害者と家族にも思いを馳せよう。
 一方で日本の政治。鉢呂大臣の速すぎる辞任。
 なぜ社会党出身大臣ばかりが失言問題を起こすのか。
 はしゃぎすぎる民主党の大臣たち。そこには政治家という職業の持つ大きなジレンマ。
 もちろん大臣が追い詰められるのには何か別の力が働いているという話も。
 しかしそうなら、なおさら緊張感を持ってもらわないと。


2011年9月13日 (火)
On Voice 第844回 原発推進派の逆襲

 鉢呂大臣辞任と枝野新大臣就任は実質的に脱反原発派の敗北。
 国会記者クラブの「陰謀」
 経団連の圧力で広告掲載を拒否される東京新聞。
 9.11の反・脱原発の集会とデモでは大量逮捕。
 さらに東電は国会に墨塗りマニュアルを提出。
 やはり菅降ろしは脱原発派の封じ込めと小沢復権が目的だったか。

*参考!サイト
・田中龍作ジャーナル
「鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされて」
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002887
「枝野・新経産相会見 大臣官房に逃げ込んだ暴言記者」
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002912

・nanohana
「正しい考えを持った企業を応援しよう」
http://nanohana.me/?page_id=2785

・原発情報
「『東電、事故時の黒塗り手順書を提出 』ほとんど全てが黒塗りになっている!」
http://blogs.yahoo.co.jp/ta1tataro/6532127.html


2011年9月14日 (水)
On Voice 第845回 風評被害を考える(1/6)

 原発被災地の物産を売る店を開く計画が、反対意見によって中止に。
 しかし、はたして「風評」は本当に風評なのか?
 「風評被害」は本当に風評被害なのだろうか?
 実際には一次被害でも二次被害でもなく、ゼロ次被害=日本経済のあり方そのものの問題なのでは。


2011年9月15日 (木)
On Voice 第846回 風評被害を考える(2/6)

 中小零細の経営者は健全な経営ができないできた。
 これまではそれをすべて経営者の責任にしてきたが、確かに資本主義の論理の中ではそれも当然で。
 高速無料化に便乗したトラック運転手たちは儲けるためではなく、生きるために便乗した。
 経済の矛盾を「風評」の名の下にくくってしまうことは危険。
 そうした問題とはまた別に思想的な問題も。


2011年9月16日 (金)
On Voice 第847回 風評被害を考える(3/6)

 なにも無理やり陸前高田の薪を燃やす必要はない。
 薪を買う分を寄付すれば良いだけなのでは。
 商品取引であることに意味を見いだす人も多いが。
 商品経済の中に存在することこそ大人であり本物であるという価値観。
 別の価値観とシステムがない。
 生産活動に直接参加しない人は社会のお荷物か?
 お金に換算してはじめて意味が生じるというのはおかしい。


2011年9月17日 (土)
On Voice 第848回 風評被害を考える(4/6)

 そもそも安全宣言の基準自体があいまい。なぜならまさに未曾有の事態だから。
 多少の放射線被曝はガマンしろ、それが痛みを分かち合うことだ、と言うのは変。
 確かに我々が子どもの頃は放射能汚染がひどかったが、だから今の子どもも被曝して良いという論理にはならない。
 昔はこうだったからガマンしろと言うなら、まず電気依存の社会を捨てて脱原発を実現する方がずっと良い。


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